top of page
雑誌のスタック
商いの本質を教えてくれる酒屋
 ここぞというときに飲む酒を買う店は、千葉県船橋市、新京成電鉄の三咲駅にほど近い『さいとう』と決めている。自宅の最寄りの駅から、電車を乗り継いで50分はかかる。

​ 

 近所のスーパーや量販店にもそこそこの酒は置いているし、良心的な値付けに感心することも少なくない。それでもこの遠方の店の誘惑にあらがえないのは、単に選りすぐりの品々がそろっているからではない。

 簡素で清潔な白壁に、酒屋であることを示す目立つ看板はない。入った右手に整然と酒類を並べた『醸造酒ルーム』が現れる。とにかく暗い。品質の劣化を招く紫外線を極力避けるため外の光を遮り、蛍光灯も使っていない。心地よい涼しさと、梅雨時を思わせる湿気。室内は常に気温を15度、湿度を75%に保っている。
 深い静けさにも理由がある。当たりの柔らかい大谷石を敷き詰めた床下には、深さ5メートルほどの空洞が広がっている。そうすれば地面を伝う様々な日常の振動(これが酒にはボディーブローのようにこたえる)を抑えられると踏んでのことだ。
ニュース考01
白を基調にした『さいとう』の店舗。入口脇のプレート以外に目立った看板はなく、遠目には酒屋とはわからない(写真はいずれも筆者撮影)
蔵元も認める店独自のラベル
 そこに居並ぶ一升瓶の数々がうまくないわけがない。しかし『さいとう』の真骨頂は、実はその醸造酒ルームの一角を占める氷温冷蔵庫にある。チルド状態を保つ庫内には火入れ殺菌も澱を除く濾過も全くしていない、年代ごとの活性生酒が今日も熟成を重ねているのだ。
ニュース考02
​気温と湿度を一定に保つ醸造酒ルーム。奥には生酒を熟成させる氷温冷蔵庫が見える(今回のみ光量を増やし撮影)
 石川県白山市安吉町の蔵元、『手取川』を醸す吉田酒造店は、酒造りの工程を追ったドキュメンタリー映画が各地の国際映画祭で公式上映される実力蔵だが、その純米(大)吟醸の生酒も氷温冷蔵庫にある。奇怪!(という表現をあえて使う)なことに瓶には『手取川』ラベルに加え、『さいとうオリジナル』というラベルや印、さらに『花ごよみ』なる独自のブランド名も貼られている。
 蔵元の商品を仕入れた酒屋が、「これはうちのオリジナル」と自前のラベルを貼るなんて、普通は反則だろう。だが、鑑評会へ出す前の出来立てを瓶詰めしてもらい、ビンテージワイン同様にしっかりしたコンディションで寝かせた生酒は、時を経るほど味わいが複雑玄妙にこなれ、熟成し、表情や性格を変えていく―――それは消費者へ商品を渡す最期の売り手にも、酒をよりおいしくする工夫や手当ての余地が、けっこう考えられるということだ。だから蔵元も喜んで店独自のラベルを貼ることを認めているのである。

自らの熱意と創造性で新たな付加価値
 「栓を開けてすぐ飲むことは勧めません。眠っていた酵母が空気に触れて起きるまで2、3日は待って、そこから1日1合ずつ酒と語らうように飲んでほしい」。店を商う齊藤昇さんの言葉に従って重ねる杯は、間違いなく陶然とした酔いと口福を運ぶ。

 

 作り手からモノを仕入れ、手元に並べ、売る。

 

 その手間賃以上に自らの熱意と創造性で新たな付加価値を見出すことが商いの本質だと、その酒屋は教えている。

読売プレミアム『ニュース考』 宇佐美 伸・文

ニュース考03
ここでしか飲めない『手取川』の熟成生酒(吟醸あらばしり)。『花ごよみ さいとうオリジナル』のラベルもみえる
bottom of page